辻真先『悪魔は天使である』(東京創元社)★★★★

編集者の粕谷敬吾は探偵小説界の巨匠・天城俊策に幻の作品があることを唯一焼かれなかった祖父の昭和19年の日記の記述から知る。興味を持った彼は俊策の孫の小夜子を訪ね、彼女からその作品『悪魔は天使である』の原稿を見せられるが、それは彼女が書いた代作だという。どんな経緯で出来上がり、なぜ俊策が代作を許したのか、小夜子は語る―。昭和18年、天城俊策は“ペンの従軍”を拒否したことにより活躍の場を奪われ、亡き息子の嫁の明子、孫の佳樹と小夜子を連れて北鎌倉から名古屋に転居した。佳樹は中学時代の友人で出征で左腕を失った刑事の五百村洋と再会、小夜子は隣家の娘・速水瑠璃子と仲良くなり、戦時下ではあるが彼らは穏やかな日々を送っていた。だが、俊策が選挙に出馬する丹羽勝利の応援に関わったことから一家に不穏な影が忍び寄り、やがて悲劇に襲われる。隻腕の刑事・五百村が辿り着いた真相とは――。
ノンシリーズの青春ミステリーであり、辻先生のライフワークである「名古屋もの」の一編。2001年2月刊。
戦時下の都市部を舞台にした青春ミステリというのは珍しいかも知れない。当時の人々の生活の様子がよく分かり、「こんな生活状況じゃ負けて当然だな」と強く感じることだろう。
事件が起きるのは3分の2を過ぎてからと遅いが、それまでの物語が面白いので不満には思わない。戦時下の名古屋を舞台にしたことに必然性があり、大空襲が迫るなか五百村が犯人と対峙する解決編の切なさ・苦さが素晴らしく、青春ミステリーの隠れた秀作といっていいだろう。
あとがき「名古屋は漂流する」と附録「辻真先・作品見本棚(抄)」も読みごたえがあるので、こちらも併せてチェックされたし。