甲賀卍谷と伊賀鍔隠れは四百年にわたる宿怨の間柄だったが、甲賀の頭領・弾正の孫の弦之介と伊賀の頭領・お幻の孫の朧との婚礼を控えており、和解間近であった。慶長十九年四月の末、大御所・徳川家康は両頭領を駿府城へ呼び出す。このころ、家康は秀忠の後…
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